震災以降ブログ更新してませんでしたが、あらためて東日本大震災により被害を受けた方々にお見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈り申し上げます。
今回の震災は私のように東京に住む人にとっても、地震そのものの衝撃、その後の交通マヒやら物資の枯渇と、現実のこととは思えない様な体験をして、強烈な印象が残りました。かつ私事ながら、母方の実家が津波の被害に直面したので、今回の災害をより身近に感じることとなりました。暗い話題は避けたいところですが、東北の血が半分流れている者として、これから復興に取り組む被災地の方に想いを伝える意味も含め、この話題を書いておきたいと思います。
私の母方の実家は「福島県いわき市久ノ浜」というところで、福島県の浜通りにある町です。(福島県は天気予報などでも大きく3つの地区に分けられる事が多く、それぞれ海側から「浜通り」「中通り」「会津」などと呼ばれています。)
家屋自体が堤防のすぐ横にあり、海に出るのは1分もかからないような場所です。
先に書いておきますが、ここには叔母と、いとこ一家が住んでいましたが、地震の後に避難して全員無事でした。ただ、地震の25分後に津波第一波が来て、この時はいとこは叔母を見つけられず(2階にいたらしい)、第一波の引いた後に探して連れて逃げた後、第二波で家屋が倒壊したそうです。
私は埼玉育ちですが、父方は東京出身で実家ごと埼玉に移していたので、小さい頃から「いなか」というと母方の実家を指していました。毎年、お盆の時期には電車や車で「いなか」に行くのを楽しみにしていました。なぜそんなに楽しみにしていたかというと、海そして波が見れるからです。
海無し県育ちの私は、初めて見た海は、いわき市久ノ浜の海なのです。(たぶん)
そして、当時(30年以上前)の久ノ浜の波は、まさにチューブ状で高く美しく力強い波でした。
子供ながら、その吸い込まれるような美しさと、迫力ある波のサウンドに心を奪われて、長い時間見とれていることもありました。
これは正しい知識ではないかもしれませんが、三陸の海岸沖は、急に海底が深くなっているため、波が高くなるというのを聞いたことがあります。そのため、私は九十九里のような遠浅の海を見ても波が低くイメージが違ってしまい、海といえば久ノ浜の海がずっと心に焼きついていました。ただ、ここ十数年は、沖にテトラポッドが積み上げられ、それによって波が崩されてしまい、久ノ浜も昔の様な綺麗な波は見れなくなっていました。
子供の頃、そんな大好きな海を見に行こうとすると、当時は決まって祖母に「海に行っちゃダメだっぺ! 海は怖いっぺ!」と、通せんぼをされていました。当然、スキをみて見に行っちゃうのですが、当時はなぜそこまで止めようとするのか、理解できていませんでした。
今回の震災による津波では、多くの方が犠牲となり、「津波の警戒意識が薄かったのでは」などの見方もされていましたが、私は少なくともこの久ノ浜のように海沿いの町で、昔から住んでる方ならそんなことは無かったと思っています。なぜなら、津波や海の怖さは、海無し県だったこの私にも知識として埋め込まれているからです。
私のいなかの祖母のように、過去の三陸大津波や海の事故を知る人が子や孫に伝え、私も母から教わっていたくらい。あの地震が尋常で無かった事で、すぐ津波の危険を感じていたはずです。
とはいえ、今の東北沿岸部は過疎化が進み、久ノ浜駅もだいぶ前から無人駅になっていたほど。今回の東北各地の被災地は、おそらく高齢者の割合も多かったはず。ましてや平日の15時頃となると、家族が一番離ればなれになっている時間帯だったでしょう。
久ノ浜には特段高い建物は無いはずなので、逃げるとするとお寺のある山の方だと想像できるのですが、あそこまで25分間のうちに逃げるというのは、自分はできますがお年寄りはギリギリだと思います。
墓参りで何度も行き来した道のりだけに、想像すると恐ろしいです。

最後に久ノ浜に行ったのはちょうど5年前の2006年4月。叔父の墓参りで行ったきりでした。
お寺とお墓が高台にあり、眺めも良かったので写真を撮っていましたが、今はGoogleマップにもあるとおり、町がグチャグチャになっています。特に駅前の方は火災もあったためが、焼け野原になってしまっているようです。久ノ浜はギリギリ原発30km圏外ではあるものの、避難指示が出て移動したと聞いており、復興作業もままならないでしょう。
久ノ浜に駆けつけたい想いにかられますが、避難された方はこれからがストレス続きキツイ時期になるでしょう。現地でなくてもできる協力をし続けていきたいと思います。